リーダーシップと騙される者の責任について | 人間関係を考える不動産屋

職務上のリーダーにぜんぶ責任を押し付けるな~東村山の不動産会社

従来型の日本人の多くは、“リーダーシップを持つリーダー”のことを、「何でも代わりにやってくれる人」で、最後は自分が詰め腹を切ってくれる人と考えている節があります。自分たちはその決定事項に唯々諾々と従って、見えないところで文句を言っていればいいというわけです。

田中角栄という政治家の評価はさておき、何年か前にブームが起こったように、ああいった「コンピューター付きブルドーザー」などとあだ名されたキャラクターを懐かしむ風潮は今でも見られます。

一方で、現在の管理職はコンピューター付きブルドーザーなんかになろうものなら、即クビになるのが今の社会でしょう。ハラスメントに気を付けろ、やるべき指導は厳しくしろ、部下のメンタルヘルスに気を配れ、売り上げは上げろ……。

終身雇用制が崩れて、自分の立場だっていつどうなるかわからない中で、今の管理職は本当に大変だと思います。それをどうにかするためには、マネジメントを管理職や経営層だけの仕事にしないことが必要です。

それぞれに影響を与え合うのが本当のリーダーシップ~東村山の不動産会社

もう私たちは、「何でも代わりにやってくれる人」と「最後に詰め腹を切ってくれる人」だけがリーダー(リーダーシップ)という考え方から卒業しなければなりません。

正しいリーダーシップとは、チームの誰もが持っていて、それぞれに影響を与え合うものです。たとえば、チームリーダーの最終決断に影響を与えたのが、新入社員が臆せず発揮したリーダーシップだったというのが本来のリーダーシップのあるべき姿といえます。

企業が変わることで、日本も変わります。いま裏金問題で話題の政治家を見ていると、ほとんどが「何でも代わりにやってくれる人」であって、不満があれば陰でコソコソ言っていればいいとして選ばれたリーダーたちではありませんか。

最後に少し長いですが、日本人はとかく「あいつが悪い、自分は騙された!」などと言うけれど、騙されたお前も悪いよ!という文章からその一部を引用します。約70年前のものですが、今でも通用すると思います。(読みやすいように筆者が改行を加えています)。

※以下、引用始まり

さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。

多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。

上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。

すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。

しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。

※以上、引用終わり

【引用元】伊丹万作『戦争責任者の問題』
https://www.aozora.gr.jp/cards/000231/files/43873_23111.html

 

本当のリーダーシップについて | 人間関係を考える不動産屋(2024年3月21日)

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