ビートルズの時代と持ち家信仰 | 社会学が好きな不動産屋

戦後の住宅政策とその変遷~東村山の不動産会社

戦前の東京では、70%以上の人々が賃貸住宅に住んでいました。しかし、1950年に住宅金融公庫が設立されたことは、日本人の「持ち家信仰」につながりました。1956年から1962年にかけて、マンションと戸建住宅の年間着工数は2万戸前後で推移しました。

1956年には経済白書に記された「もはや戦後ではない」という言葉が流行語となり、1962年にはビートルズが「ラブ・ミー・ドゥ」でデビューしました。この頃、池田勇人内閣が「所得倍増計画」を打ち出し、国民の住宅購買意欲が高まりました。さらに、1964年の東京オリンピック開催に伴い、道路インフラの開発が進み、住宅の開発が容易になりました。

1966年には日本武道館でビートルズが最初で最後の日本公演を行い、同年に「住宅建設計画法」が制定されました。これが官民一体の住宅建設に拍車をかけ、1969年には分譲住宅の年間着工数が急増しました。この時期、鉄道会社による沿線の分譲住宅地開発も盛んに行われ、都市部から郊外への通勤が一般的になっていきました。

メンバーのソロ公演とバブル経済~東村山の不動産会社

1970年代以降、鉄道・家電・自動車業界からのハウスメーカー市場への参入が進みました。しかし、いくつかの詐欺会社も存在しました。さらに、1989年前後のバブル経済期にはそれまでも幾度かあった地価上昇に伴い「土地神話」が広がり、多くの人々が土地や住宅の購入に熱心になりました。

ビートルズのメンバーだったポール・マッカートニーが1990年、ジョージ・ハリスンが1991年に、それまでファンが強く願いながら実現できなかった初の日本ソロ公演を行ったことにも何か因縁めいたものを感じます。

そして、そもそもお金が無ければ不動産は買えませんから、それらを後押ししたのが官民挙げての手厚い住宅金融だったわけです。

※参考図書:井上明義『「持ち家」という病』(PHP研究所)

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