1998年に自宅を失って本当に良かったといま思うのはなぜか | 持ち家信仰の限界を考える不動産屋

今となっては実家を失って本当によかった~東村山の不動産会社

1998年末、私は自分が生まれて半年後から22歳の時期まで過ごし、育った山口県内の自宅(戸建)を売却しました。家庭の事情から、人手に渡ってしまったとでも言うほうが近いかもしれませんが、とにかく住むところを失い、初めての一人暮らしを始めたのでした。

その戸建というのが、1976年築の建売住宅。田畑を埋め立ててできた新興住宅地にある分譲住宅で、第一子である私が生まれたことを機に父が購入した家でした。今はもう住宅事業からは撤退している有名な会社が建てた何の変哲もない平屋建ての住宅でした。

売却した当時は思い出深い実家の家屋でもあって、とても喪失感がありました。しかしながら、ほぼ25年が経過した今。また、自分自身が不動産業者になってみて思うのはつくづくあの時期に手放すことになって本当によかったということです。

空き家問題は、現在では行政や地域社会、相続人など多くの関係者にとって深刻な悩みとなっています。この問題は単なる建物や土地の所有の問題だけでなく、地域の活性化や社会経済への影響も含んでいます。

家のほうに自分の生き方を合わせるのですか~東村山の不動産会社

欧米では、住宅は単なる消費財ではなく、中古住宅に対する価値観も異なります。そこでは、「中古=成熟」という文化が根付いており、中古住宅市場が活発になっています。しかしながら、日本ではこの考え方がどれだけ浸透しているでしょうか。

土地には価値があるだろうと言う向きもありますが、人口減少や経済の衰退が進む中、土地をどれだけの“一般人”が欲しがるでしょうか。特に投資家や事業者の目から見て魅力のない地方の土地など、財産どころかむしろ負債です。

それぞれのライフステージや生活様式というものは変化していくものです。しかしながら、持ち家があると簡単に引っ越すこともできないでしょう。また、ご近所トラブルや子どもが学校でいじめに遭ったなどの不測の事態は自分には発生しないと言い切れますか。

良くも悪くも変化の激しい現代社会。その変化を拒んで、家に自分の生き方を合わせるようなことを続けるのはどうなのでしょうか。ただ、「賃貸と持ち家はどちらがいいか」と問われれば、それは人それぞれの価値観でしょうというのが模範回答です。不動産事業者は、そのお手伝いをするのが使命です。強制することはできません。

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