「特別な配慮が必要とされる人への取り組み」をみんなのものにする(後編) | 職場のマネジメントを考える不動産屋

特別な配慮を「同情や施しという名の褒美」ととらえがちな社会~東村山の不動産会社

日本人は「人権」が苦手で、一昔前の企業やその経営層にとって、人権問題とはイコール同和問題オンリーだったという話。そして、その人権についても本来は誰にでも等しくあるものにかかわらず、「施し」のようにとらえられているという話を前回の中編で行いました。

生活保護制度が良い例で、生活保護の受給は施しではなく、国民の有する権利です。ところが、それがきちんと機能していないのは周知の事実。生活保護受給者は、世間様から「ずるい」「ガマンせよ」などと叩かれやすいのです。

本来は卑屈になって押し頂くようなものではなく、たとえば労働者にとってはいざとなれば生活保護があるのだからというふうに、日々を安心して働くための仕組みであるべきでしょう。本当はそのほうが、一人ひとりの業務におけるパフォーマンスも上がり、社会も潤うはずです。

「障がい者は清く正しい人」という思い込みも、特定の誰かを侮蔑していたりするわけではないのですが、厳しく言えば悪意がないだけに質の良くない人権侵害です。

障がい者にだって、「清くない、正しくない人」も居て当たり前。そうであるにもかかわらず、社会全体がそうなってないのは、どこかで障がいの無い側が当事者に対して行う配慮を「同情や施しという名の褒美」と上から目線で考えているからだと思うのです。

職場では誰でも「特別な配慮が必要とされる人」になり得る~東村山の不動産会社

日本は人権に関する法制度が少ないですが、ヨーロッパでは人権デューディリジェンスの義務化が進んでいます。人権デューディリジェンスとは、企業がビジネスにおける人権リスクについて、その対策を実施し、そうした過程で取り組みの有効性や対処手段に関する説明や情報を提供する一連の行動をいいます。

社外、とりわけ国際的にもビジネスと人権についての取り組みが求められる現代。海外では、児童労働や劣悪な強制労働などといった人権侵害を理由とした製品・サービスの不買運動、投資先としての評価の降格などが起こっています。社内のパワハラやセクハラ等の防止対策を人権問題の視点からとらえ、企業マネジメントを行うという発想を持てないようでは、「外に対していい顔」をしてもすぐに化けの皮ははがれます。

「特別な配慮が必要とされる人への取り組み」をリスクとせず、利益としてみんなのものに。職場における特別な配慮が必要とされる人というのは、何も社会的マイノリティだけではありません。

実は誰だって、それまで問題なく働いていても、ある日突然、何らかの事情で「特別な配慮が必要とされる人」になったり、特に配慮が必要ではなくなったりするもので、案外そのボーダーラインはあいまいなものなのです。

「人権問題は繊細な話だから」と身構えず、言葉は適切かどうかわかりませんが、避けるくらいならもう少しカジュアルにとらえてもよいのではないかと思います。

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