食客と労働者の狭間で | 「ちょうど良さ」を追求する不動産屋

才覚の無い人は絶望するか悪事を働くかしかない社会とは~東村山の不動産会社

大場一央著『武器としての「中国思想」』(東洋経済)の中に、中国の戦国時代に現れた食客(しょっかく)の話が登場します。食客は、いわば用心棒のようなもので、普段は特に何もしていなくても、事があればボスである雇い主から招き寄せられて、仕事師となる人のことをいいます。

本書では、「要するにフリーランス」とありますが、今でいう業務委託契約や顧問契約などですね。戦国時代は、才覚のある人は食客として生きていけるけれど、そうでない人は絶望するかどんな悪事を働いても生きていこうとするしかない時代でもありました。

そんな時代は弱肉強食がはびこり、治安は良くないものです。詳しくは本書をお読みいただきたいのですが、そうした世の中から逃避しようとした思想が、老子・荘子の老荘思想であると述べられています。

食客の中には、大成功をおさめて大金持ちになる者もいたそうですが、なんだかそれって、現代のベンチャー企業を立ち上げて巨万の富を得たとか、そんな話にも似ているように感じます。一方で、食客になる才覚のない人はひきこもりやニート、フリーターにというところでしょうか。

1日8時間働いて残業もして得られるものを考える~東村山の不動産会社

『「8時間労働」「残業当たり前」を疑問視 Z世代が従来の組織の考えにとどまらない理由とは』(アエラドット・2023/12/06)というネット記事に出てくる事例は、Z世代の親世代でありながら、ずっとはみだし者として生きてきた私(阿部)にとって、ごく普通に同意できるものでした。

記事の中に、「この仕事をして僕に何かメリットがあるのか、残業してまですることなのか、と思うことはあります」という23歳男性の言葉が登場しますが、昔は少なくとも右肩上がりの経済とか、終身雇用とか、いろいろな“メリット”が無いこともなかったわけです。

そういったものがもう担保されてないのに、働き方だけは昔と同じ「8時間労働」「残業当たり前」ということでは、おかしいと感じるのが当然でしょう。

雇われて働く人たちには食客のような自由と個の尊重を。フリーランスには、終身雇用制度の下で働いてきた労働者が享受してきた保障が可能な限り認められる柔軟性を。それが、いますべての働く人に求められる「ちょうど良さ」なのではないでしょうか。

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きまじめでやさしい弱者のための「独立・起業」読本
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阿部 浩一 (著)

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