「正しさ」だけで生きていける人は幸せな人である | 哲学する不動産屋

「苦労人の世間知らず」や「かしこいバカ」もいるのが世の中~不動産屋の直言

ルールというのは何のためにあるのでしょうか。守られるためだけにあるのだと思える人は、不特定多数の中でもそれほどの生きづらさを感じないで済んでいる「恵まれた人」です。今の日本ではなかなかイメージしにくい人のほうが多いかもしれませんが、飢えて生死をさまよっている人に対して、人様の食べ物を盗んではいけませんというのは虚しい話。

「飢えて生死をさまようような状態になる、そんな生き方をしてきたあなたが悪い、自業自得じゃないか。」心に1点の曇りなく、そう言えてしまう人もまた「幸せ者」です。人にはそれぞれ異なった事情があり、育ってきた環境も違います。こう言っては申し訳ないですが、世間を知らな過ぎます。

そういう人は苦労をしていないと言いたいのではありません。世の中には「苦労人の世間知らず」や「かしこいバカ」はたくさんいます。ルールというのは、そうしたさまざまな生い立ちや考え方、その他の属性を持つ人たちが利害を調整して、可能な限り気持ちよく生きていくために、最大公約数的に存在するものなのです。

だから、自分がルールを守ることに苦を感じないからといって、そこからはみ出してしまう人たちを蔑んだり、攻撃や批判をすることは大きな間違いです。

挑戦する生き方を選ぶほど正しさからは遠ざかる~不動産屋の直言

私(阿部)はアウトローの両親の下に生まれ育ち、少しばかり社会のメインストリームから外れた人たちをたくさん見てきました。私自身は亡き父と違って取り調べは受けても逮捕されたことまではないですが、相手が警察に駆け込んでいたら、確実に後ろに手が回っていただろうなという場面は50年近く生きてきた中にあったことは事実です。決してほめられたことではありませんが。

社会や所属するコミュニティの構成員である以上、ルールは守らなければならないものですが、守るためだけにあるものではないことを知ってください。

人間というものは挑戦したり、ハンディキャップに抗ったりして生きていこうと思ったら、清く、正しく、美しく生きていくなどということはできません。それこそ、「世の中そんなに甘くなーい」なのです。


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