不動産教育はお金の教育の延長線上にある | 不動産の購入

不動産を教えない日本の教育~東村山の不動産会社

『楽待』のサイトに興味深いコラムを見つけました。

「不動産オタク」古谷経衡が綴る「日本と不動産」 両親の失敗で見た「知識がない者はカモにされる」

作家の古谷経衡さんが、ご両親のことやそのご両親がバブル絶頂期に購入した分譲マンションのことを通じて、日本の不動産教育はお粗末であると論じている内容です。

お金に関する教育がタブー視されてきたというような話はよく聞きますが、お粗末な不動産教育というのはまさにこの延長線上にあるのだと思います。
コラムの中にもありますが、全国の4年制大学で不動産の学部があるのは千葉県の明海大学だけということは、私(阿部)もこの仕事に就いてから知ってちょっと驚きました。

そして、コラムを読みながら私の実家とよく似ているなと感じました。特に、「私の実家にあってあらゆる「もめごと」の半数以上は住空間の狭さに起因していると思う。」という記述に、深く共感してしまいました。

田畑に高い擁壁を設けてできた住宅団地に実家があった~東村山の不動産会社

私が両親の初めての子として生まれた1976年1月。その年の8月に、両親は建売住宅を購入し、賃貸アパートから引っ越しをします。

その住宅は、当時分譲されたばかりの住宅団地にありました。おそらく、田畑だった場所に高い擁壁を設けてつくられたのでしょう。まだ私がよちよち歩きだった頃の古い写真を見ると、周囲は空き地が多かったのですが、物心ついたときにはほとんどの土地に住宅が建てられていました。

ただ、私の家の前に長い間、空き地のままだった土地があり、わが家も含めた周辺の住人たちは勝手に使用したり、草むしりをしたりしていて、幼い頃の私もそこで穴を掘ったり、ボールを蹴ったりして遊んだものでした。

おそらく、1970年代の半ばはまだ、土地は持っていれば値上がりするという土地神話のあった時代で、空き地の所有者は投機目的で購入していたのでしょう。

約20年後、土地の所有者も変わって、家が建ってからはすっかりわが家の陽当たりは悪くなってしまいました。とはいえ、その後すぐに家庭の金銭問題からそのわが家も人手に渡ってしまいます。

知識も計画性もなかった両親~東村山の不動産会社

3DKの平屋建てに両親と妹、私が生活していました。私が16歳のとき、父が亡くなるのですが、その後に一部屋ほど増築しています。本当に4人で暮らすには狭い家でした。その家を購入したきっかけは、隣りに当時の父と同じ勤務先だった人の家族が先に住んでいたからでした。

「子どもも生まれたのだし、うちの裏に建売住宅があるから買わない?」くらいの、軽いノリだったようです。思春期の私はなかなか個室を持たせてもらえず、不満を募らせていたことを思い出します。

私にとっては、生まれてすぐの頃から22歳までを過ごした家ですから、人手に渡った今も思い出深い場所には違いありませんが、また住みたいかと言われればNoですし、四方を家に囲まれて、私道を通らなければ出入りできないようなところで、はっきり言って不動産としての魅力もないです。

グーグルマップで確認したところ、今も建て替えはされず人が住んでいるようで、私が子ども時代に空き地だった隣りにも経年劣化を感じる家が建っています。ここを合筆すれば公道に面しているので良いかとも思いますが、結局のところ、私の親も古谷さんのご両親と同じく、不動産業者のカモにされた口でしょう。

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