騒音問題は結局、関係性の問題です | 隣り近所のトラブル知識

騒音問題を解決する方法は相手と仲良くなることしかない~東村山の不動産会社

長野市で住民からの子どもの声がうるさいという苦情を受けて、公園が廃止されたというニュースが話題になっています。「子ども」というキーワードだけで情緒的、短絡的、一方的に「世知辛い世の中になったものだ」的なことを言うのもおかしな話だと思います。私(阿部)も子どもが好きなので気持ちはわかりますが。

実際には、毎日100台もの保護者によるお迎えの自動車が列をなすなど常軌を逸していて、自分が近隣住民だったら耐えられるかと考えれば、ちょっと印象が違うという報道もあります。

究極の騒音問題の解決方法は、騒音とされる音の“発生源”と“被害者”が関係性を築くことです。もっと噛み砕いて言えば、仲良くなることともいえます。

たとえば、自分が住むマンションの上階や隣りの住人が小さい子どもいるファミリーだったとしましょう。いたずら盛りの子どもは騒がしいのが一般的ですから、派手に物音も立てるでしょうし、それを保護者は大声で叱ったりするものです。しかしながら、日頃からこのファミリーと良好な関係性が築けていれば、「またやっているなぁ」くらいのもので騒音と感じるどころか、ほほえましくさえ感じるかもしれません。

そして、どうしても音がつらいと思えば、日頃の関係性があれば角を立てることなく、さらっとそれを伝えることも可能となり得ます。

近所に学校があって、登下校時の声や自転車の駐輪等々に関することでも、生徒たちが地域の行事に参加する機会があったり、住民や自治体と学校側の距離が近かったりすれば、それほど目くじらを立てる話にも発展しないし、それこそ気軽に注意しても険悪な関係になりにくいわけです。

うるさい→自分の存在を軽んじられていると感じる~東村山の不動産会社

騒音の被害者というのは、自分の存在が軽んじられている、無視されているという心境に落ち込んでいきます。もちろん、音の発生源は別に相手を苦しめようとか、陥れようなんて思っていないケースがほとんどです。

そんなわけだから音を数値化して、何デシベル以上だからダメとか、高温がきついからアウトとか言うことは意味がないということはありませんが、ご近所問題に関していえば、あまり重要では無かったりするのです。

仲良くしているお隣りさんファミリーから発生する大きな子どもの泣き声よりも、どんな人かも知らないお隣りさんが時折発生させる「カチャッ」という生活音のほうに怒りが蓄積されていく。騒音問題とはそういうことなのです。

結局、ご近所付き合いや対人関係が希薄になり、核家族化が進み云々と言われて久しい社会ですが、騒音問題の解決はそこをどうクリアしていくかにかかっているのではないでしょうか。

1974年に発生した『ピアノ騒音殺人事件』が、高度成長期を経て社会が変貌する中で起きた事件として有名ですので、興味のある方は調べてみてください。

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